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に、三月つごもりごろ、冬の直衣の着にくきにやあらむ、うへの衣がちにて殿上のとのゐすがたもあり。つとめて日さし出づるまで式部のおもとゝひさしにねたるに、奧のやり戶をあけさせ給うて、うへのおまへ〈一條天皇〉、宮の御前〈中宮定子〉出でさせ給へれば、起きもあへず惑ふをいみじく笑はせ給ふ。からぎぬをかみのうへにうち着て、とのゐ物も何もうづもれながらあるうへにおはしまして、陣より出で入るものなど御覽ず。殿上人のつゆ知らでより來て物いふなどもあるを「けしきな見せそ」と笑はせ給ふ。さてたゝせ給ふに、「二人ながらいざ」と仰せらるれど、「今顏などつくろひてこそ」とてまゐらず。入らせ給ひて猶めでたき事ども言ひあはせて居たるに、南のやり戶のそばに、几帳の手のさし出でたるにさはりて、すだれの少しあきたるより黑みだるものゝ見ゆれば、のりたかゞ居たるなめりと思ひて、見も入れでなほ事どもをいふに、いとよく笑みたる顏のさし出でたるを「のりたかなめり、そは」とて見やりたればあらぬ顏なり。「あさまし」と笑ひさわぎて几帳ひき直し隱るれど、頭の辨にこそおはしけれ。見え奉らじとしつるものをといとくちをし。もろともに居たる人はこなたに向きて居たれば顏も見えず。立ち出でゝ「いみじく名殘なくも見つるかな」とのたまへば「のりたかと思ひ侍ればあなづりてぞかし。などかは見じとのたまひしに、さつくづくとは」といふに、「女はねおきたる顏なむいとよきといへば、ある人の局に行きてかいばみして、又もし見えやするとて來たりつるなり。まだうへのおはしつる折からあるをえ知らざりけるよ」とてそれより後は局のすだれうちかづきなどしたまふめり。