Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/127

このページは校正済みです

てたれば、たけ四尺ばかりにて、髮は落ちたるにやあらむ、裾さきたる心ちして、たけに四寸ばかりぞ足らぬ。いとらうたげにてかしらつきをかしげにてやうだいいとあてはかなり。見て「あはれいとらうたげなめり。誰が子ぞ。猶いへいへ」とあれば、耻ぢなかめ〈如元〉るを、さばれあらはしてむと思ひて、「さはらうたしと見給ふや。聞えてむ」といへば、まして責めらる。「あなか〈しかイ有〉ましつらに〈ぞイ〉かし」といふに、驚きて、「いかにいかにいづれぞ」とあれど、とみにいはぬば「もしさゝ〈うカ〉の所にありと聞きしか」とあれば、「さなめり」とものするに、「いといみじき事かな。今ははふれうせにけむとこそ思ひしか。かうなるまで見ざりける事よ」とてうち泣かれぬ。この子もいかに思ふにかあらむ、うちうつ伏して泣き居たり。見る人も哀に、むかし物語のやうなれば皆泣きぬ。ひとへの袖あまたゝび引き出でつゝ泣かるれば、いとうちつけにもあり。「こゝにはいまだ來じとする所に、かつ〈くイ〉ていましたる事、我ゐていなむ」など、たはぶれいひつゝ、夜更くるまで泣きみ笑ひみして皆寢ぬ。つとめて歸らむとて、呼び出して、「いとらうたかりけり。今ゐていなむ。車寄せばふと乘れよ」と、うち笑ひて出でられぬ。それより後、文などあるには、必ず、「小き人はいかにぞ」などしばしばあり。さて二十五日のよ、宵うち過ぎてのゝしる。火の事なりけり。「いと近し」など騷ぐを聞けば、憎しと思ふ所なりけり。その五六日は例のもの忌と聞くを、「みかどのしたよりなむ」とて文あり。なにくれとこまやかなり。ひれはかたかる〈七字今はふかゝるもあやしと思ふ七日は方ふたがるイ〉。八日の日、未の時ばかりに、「おはしますおはします」とのゝしる。中門おしあけて、車ごめ引き入るゝを見れば、卸前のをのこども、あ