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けむと、參りて聞かむ」とて物す。「よべは惱み給ふ事なむありける。俄にいと苦しかりしかばなむえ物せずなりにしとなむのたまひつる」といふしもぞおいかゝりにあるべかりけるとぞ覺えたる。さはりにぞあるを、もしとだに聞かば、何を思はましと思ひむつかる程に、ないしのかんの殿〈登子玉葉作潅子〉より、御文あり。見れば、まだ山さかとおぼしくて、いとあはれなるさまにのたまへり。「などかはさびしげさまさるすさびをもし給ふらむ。されどそれにもさはり給はぬ人もありと聞くものを、もて離れたるさまにのみいひなし給ふめれば、いかなるぞと覺束なきにつけても、

  妹背川むかしながらのなかならば人のゆきゝのかげは見てまし」。

御かへりには、「山のすまひは秋の氣色もこ〈みイ〉給はむとせしに、又憂き時のやすらひにて中空になむ。しげさは知る人もなしとこそ思う給へし〈如元〉。いかに聞し召したるにか、おぼめかせ給ふにもげにまた、

  よしや身のあせむなげきは妹背山なか行く水の名もかはりけり」

などぞ聞ゆる。かくて、その日をひまにて、又物忌になりぬと聞く。明くる日こなたふたがりたる。またのひとひを見むかしと思ふ心こりずまなるに、夜更けて見えられたり。一夜の事どもしかじかといひて「今宵だにとて急ぎつるを、忌みたるべきに、皆人物しつるを出したてゝ、やがて見すてゝなむ」など、罪もなくさりげもなく、いふかひもなし。明くれば、知らぬところに物しつる人々、いかにとてなむ出で來ぬ。それより後も七八日になりぬ。あがたあ