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ひ散らして歸る。この度のなごりは、まいていとこよなくさうざうしければ、我ならぬ人はほとほとなに〈きイ〉ぬべく思ひたり。かくおもて〈ひカ〉おもて〈ひカ〉にとざまかくざまにいひなさるれど、我が心はつれなくなむありける。惡しとも善しともあらむを辭むまじき人はこの頃きやうに物し給はず。文にてかくてなむとあるにはたよかなり。忍びやかにてさて暫しも行はるとあれば、いと心安し。人はなほし〈し衍歟〉すかしがてらに、さもいはるゝにこそあらめ、限なき腹を立つとかゝる所を見置きて歸りにしまゝにいかにともおとろ〈づイ〉れて〈て衍歟〉ず、いかにもいかにもなりなば、しるべくやはありけるなど思へば、これより深く入るともぞおぼえける。今日は十五日、いもひなどしてあり。からく催していをなどものせよとて、けさ京へ出し立てゝ、思ひながむるい〈ほカ〉どに、空暗き松風音高くて、我〈神イ〉こほこほとなき〈りイ〉今しまた降りくべかるらむものを、道にて雨もや降らむ、神もや鳴りまさらむと思ふに、いとゆゝしう悲しくて佛に申しつればにやあらむ、晴れて程もなく歸りたり。「いかにぞ」と問へば「雨もやいたく降り侍ると思へば、神の鳴りつる音になむ出でゝまうで來つる」といふを聞くにもいとあはれにおぼゆ。こ〈たイ有〉びのたよりにぞ文ある。「いとあさましくて、歸りにしかば、又々もさこそはあらめ、うく思ひはてにためればと思ひてなむ。若したまさかに出づべき日あらば吿げよ。迎へはせむ。怖しき物に思ひ果てにためれば、近くはえ思はず」などぞある。又人の文どもあるを見れば、「と〈さイ〉てさのみやはあらむとけ〈すカ〉る。日の經るまゝにいみじくなむ思ひやる」などさまざまに問ひたり。又の日返り事す。さてのみやはとある人のもとに、「かくてのみとしも思