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布やなど、さまざまにくばり散らして、物語のついでに、「多くは殿〈兼家〉の御もよほしにてなむ詣で來つる。きう〈さらイ〉して物したりしかど出で〈ず脫歟〉なりにき。又物したりともさこそあらめ、おのが物せむにはと思へば、えものせず。のぼりてあがちたてまつれ。法師ばらにも、いとたいだいしく經敎へなどすなるは、なでふことぞとなむのたまへりし。かくてのみはいかなる人かある。世の中にいふなるやうに、ともかくも限になりておはせば、いふかひなくてもあるべし。かくて人も仰せざらむ時、歸り出でゝゐ給へらむも、をこにぞあらむ。さりとも今一度はおはしなむ。それにさへ出で給はずばいと人笑へにはなりはて給ふらむ」など、ものほこりかにいひのゝしるほどに、西の京に侍ふ人々こゝにおはしましぬとて、奉らせたるとて、天下のものふさにあり。山の末と思ふやうなる人のために遙ぞあるに、ことなるにも身のうきことはまづ覺えけり。夕影になりぬれば急ぐとあればえひきも聞えず、おぼつかなくはあり、「猶いとこそあしけれ。さていつともおぼさぬか」といへば「唯今はいかにもいかにも思はず。今物すべき事あらばまかでなむ。つれづれなるこゝろなればにこそあれ」などゝて、とても、出でむも〈如元〉行ひみむつき〈一字らむイ〉。さや思ひなるとて、出さじと思ふなる人のいはするならむ、さとらでも何わざをかせむずると思へば、「かくてあべきほどばかりと思ふなり」といへば〈かくて以下二十字流布本無〉「こもなくおぼすにこそあなれ。萬の事よりも、この君のかくそゞろなるしやうじをしておはするよ」と、かつうち泣きつゝ、車にものすれば、こゝなるこれかれ、送りに立ち出でたれば、「思ふどちも皆かんだうにあたり給ふなり。よく聞えてはや出し奉り給へ」などい