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それに又冷泉院の御車のうちより高やかに神樂歌をうたはせ給ひしはさまざま興ある事をも見きくかなとおぼえ候ひしに、あきのぶのぬしのけはひいと猛なりや」との給ひけるにこそ萬人えたへず笑ひ給ひにけれ。さて又花山院のひとゝせ祭のかへさ御覽ぜし御ありさまは誰も見奉りけむな。まへの日事いださせ給へりし度のことぞかし。さる事あらむ時、今日は猶御ありきなどなくてもあるべきにいみじき異樣一のものども、かうぼうのらいせいをはじめとして御車のしりにうちむれ多く參りしきそくども、いへばおろかなり。何よりも御數珠のいと興ありしなり。ちひさき柑子を大方の玉につらぬかせ給ひて、だつまには大柑子をしたる御數珠いとながく御指貫に具して出させ給へりしはさる見ものやは候ひしな。人々むらさい野にて御車に目をつけ奉りたりしに檢非違使まゐりて、昨日事出したりしわらはべとらふべしといふ事出できにけるものか。この頃の權大納言殿、またその頃は若くおはしましゝほどぞかし、人はしらせて、「かうかうの事候ふ。疾くかへらせ給ひね」と申させ給へりしかば、そこらさぶらひつるものども蜘蛛の子を風の吹きはらふ如くに逃げぬれば、唯御車ぞひのかぎりにてやらせて、見もの車のうしろの方よりおはしましゝこそさすがにいとほしくかたじけなく覺えおはしましゝか。さてけびゐしつきや、いといみじうからうせめられ給ひて、太上天皇の御名は永くくださせ給ひにき。かゝればこそ民部卿殿の御いひごとはげにと覺ゆれ。さすがに遊ばしたる和歌はいづれも人の口にのらぬなく、優にこそうけたまはれな。