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てはやし興じ申し給ふさまにもてなしつゝ、自らしたがさねのしりはさみて乘り給ひぬ。さばかりせばき壺にをりまはし、おもしろうあげ給へば御氣色なほりて、あしき事にはあらぬことなりけりと思し召して、いみじう興ぜさせ給ひけるを、中納言あさましうも哀にもおぼさるゝ御けしきは、同じ御心によからぬ事をはやし申し給ふとは見えず。誰もさぞかしとは見しり聞えさする人もありければこそはかく申し傳へたれな。又みづから乘り給ふまではあまりなりといふ人もありけり。これならずひたぶるに色にはいたくも見えず、唯御本性のけしからぬさまに見えさせ給へばいと大事にぞ。されば源民部卿は「冷泉院のくるひよりは花山院のくるひこそすぢなきものなれ」と申し給ひければ、入道殿は「いとふびなる事をもまさるゝかな」とおほせられながら、いみじう笑はせたまひけり。この義懷の中納言の御出家、惟成辨のすゝめ聞えられたりけるとぞ。いみじういたりありける人にて、「今更によそ人にてまじらひたまはむほど見苦しかりなむ」ときこえさせければ、げにさもといとゞおぼしてなり給ひにしを、もとより起し給へる道心ならねばいかゞと人おもひ聞えしかど、おり居給へる御心の本性なればけたいなく行ひ給ひてうせ給ひしぞかし。その御子は唯今の飯室僧都守禪の君、又繪阿闍梨の君、入道中將成房の君なり。この三人は備中守爲雅が女の腹なり。その中將の御女は定經ぬしの御めにてこそはおはすめれ。一條殿の御ぞうはいかなる事にか御命みじかくぞおはしますめる。花山院の御出家の本意あり、いみじう行はせ給ひ、修行せさせ給はぬところなし。されば熊野の道にちさとの濱といふ所にて御心ちそこなはせ