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きて參り給へるに、いづこもとくかにさしあひ給へりけるを「たれぞ」と問ひ給へるに、御名のり給へば、思ひかけずおぼして、「何事に參り給へるぞ」とあれば、「頭になしたびたれば參りて侍るなり」とあるにあさましとあきれてこそ動きもせで立ち給ひたりけれ。げに思ひかけず道理なりや。この源民部卿、かく申しなし給へる事をおぼししりて、從二位のをりかとよ、越え申し給ひしかど更にかみに居給はざりき。かの殿出で給ふ日はわれ病申し、又共にいで給ふ日はむかへ座などにぞ居給ひし。さて民部卿正二位のをりこそはもとのやうに下臈になり給ひしか。大方この御ぞうの頭あらそひにかたきをつぎ給へば、これもいかゞおはすべからむ。皆人知しめしたることなれどあさなりの中納言と一條攝政と同じ折の殿上人にて、しなの程こそ一條殿とひとしからね、身のざえ世おぼえやんごとなき人なりければ頭になるべき次第いたりたるに、又この一條殿、さうなく道理の人にておはしましけるを、このあさ成の君申し給ひけるやう「殿はならせ給はずとも人わろく思ひ申すべきにあらず。のちのちにも御心に任せさせ給へり。おのれはこの度まかりはづれなばいみじうからかるべきことにてなむ侍るべきを、のかせ給ひなむや」と申し給ひければ、「こゝにもさ思ふ事なり。さらばさりまさむ」とのたまふを、いとうれしと思はれけるにいかにおぼしなりにけることにか、やがてとひ事もなくなり給ひにければ、かくはかり給ふべしやはといみじう心やましと思ひまされけるほどに、御中よからぬ事にて過ぎ給ふほどに、この一條殿の御つかうまつる人とかやのためになめき事し給ひたりけるを、ほいなしなどばかりは思ふとも、いかに事