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おきなもその頃大宮なる所にやどりて侍りしかば御聲にこそおどろきていといみじう承りしかば、翁いでゝ見奉りしかば、空はかすみわたりたるに月はいみじうあかくて、御なほしのいと白きにこき指貫に、よい程に御くゝりあげて、何色にか、色ある御ぞどものゆたちより多くこぼれ出でゝ侍りし御容體などよ。御顏の色月かげにはえて、いと白う見えさせ給ひしにびんぐさのけちえんにめでたくこそおはしましゝか。やがて見つぎ見つぎにおほん供に參りて御ぬかづかせ給ひて見も奉りはべりき、いと悲しくあはれにこそ侍りしか。御供にわらは一人ぞさぶらふめりし。又殿上の逍遙侍りし時さらなり、こと人は皆こゝろごゝろに狩裝束めでたうせられたりけるに、この殿はいとうまたれ給ひて、白き御ぞどもにかうぞめの御狩衣、薄色の御指貫、華やかならぬあはひにてさし出で給ひけるこそなかなか心を盡したる人よりはいみしうおはしけれ。常の御事なれば法華經御口につぶやきて、紫檀の御數珠の水精のさうぞくしたるひきかくして持ち給ひたりけり。御用意などの優にこそおはしましけれ。大かた一生精進始め給へる、まづありがたき事ぞかし。猶々同じ事のやうに侍れどいみじと見給へ聞きおきつる事は申さまほしくて。此の殿は御かたちのありがたく末の代もさる人や出でおはしましたがたからむとまでこそ見給へりしか。雪のいみじう降りたりし日、一條左大臣殿に參らせ給ひて、御前の梅の木に雪のいたう積りたるを折りてうちふらせ給へりしかば、御上にはらはらとかゝりたりしを、御なほしの裏の花なりけるがかへりていとまだらになりて侍りしにもてはやされさせ給へりし御かたちこそいとめでたくおはし