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  「くればとくゆきて語らむあふことのとほちの里のすみうかりしも」。

御かへし、

  「逢ふことはとほちの里にほどへしもよし野の山とおもふなりけむ」。

助信の少將、宇佐の使にて下られしに、殿上にてはなむけに菊の花のうつろひたるを題にて別の歌よませたまへる、

  「里とほくうつろひぬとかきくの花をりて見るだにあかぬこゝろを」。

御門の御をぢ東宮の御おほぢにて攝政せさせ給へば、世の中は我が御心にかなはぬことなく、くわさことの外に好ませ給ひて大饗せさせ給ふに、寢殿の裏板のかべの少し黑かりければ俄に御らんじつけてとかくみちのくに紙をつぶと押させ給へりけるが、なかなか白く淸らに侍りける。思ひよるべきことかはな。御家は今の世尊寺ぞかし。御ぞうの氏寺にておかれたるを、かやうの序には立ち入りて見給ふれば、まだその紙のおされて侍るこそ昔にあへる心ちしてあはれに見給ふれ。かくやうの御さかえを御覽じおきて、御年五十にだに足らでうせさせ給へるあたらしさは、父おとゞにも劣らせ給はずとこそ世ひと惜み奉りしか。その御をとこ女の君達あまたおはしましき。女君一人は冷泉院の御時の女御にて花山院の御母、贈皇后宮にならせ給ひにき。次々の女君二人は法住寺の大臣の北の方にてうち續きうせさせ給ひにき。九の君は冷泉院の御みこの彈正宮と申しゝ御うへにておはせしを、その宮うせ給ひて後、尼にていみじう行ひ勤めておはすめり。又忠君の兵衞督の北の方にておはせし