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うぶきぬに書きおきて侍りけるいまだ侍り。丙申の年に侍り」」といふもげにときこゆ。今ひとりに「「猶もおきなの年こそ聞かまほしけれ。生れけむ年はしりたりや。それにていとやすく數へてむ」」といふめれば、「「これはまことの親にもそひ侍らず。こと人のもとにやしなはれて十二三までそひて侍りしかば、はかばかしうも申さず。唯我は子產むわざもしらざりしに、しうの御使にいちへまかりしに、又わたくしにもぜに十貫を持ちて侍りけるに、にくげもなきちごを抱きたる女の、これ人にはなたむとおもふ、子を十人までうみて、これはし十たりの子にて、いとゞさつきにさへ生れてむづかしきなりといひ侍りければ、この持ちたる錢にかへてきにしなりと。姓は何とかいふと問ひ侍りければ夏山とは申しける。さて十二三にてぞおほき大殿には參り侍りし」」などいひて、「「さてもうれしく對面したるかな。佛の御しるしなんめり。年頃こゝ彼處の說經とのゝしれど何かはとて參ることもし侍らず、かしこくも思ひたちて參り侍りにけるが嬉しき事」」とて「「そこにおはするはそのをりの女人にやみえますらむ」」といふめれば、繁樹がいらへ、「「いでさも侍らず。それははやうせ侍りにしかば、これはその後相添ひて侍るわらはべなり。さては閣下はいかに」」といふめれば、世繼がいらへ「「それは侍りし時のなり。今日も諸共にまゐらむと出でたち侍りつれど、わらはやみをしてあたり日に侍りつれば口をしうもえ參り侍らずなりぬる」」などあはれにいひ語らひ泣くめれど、淚落つとも見えず。かくて講師侍つほどに我も人も久しうつれづれなるに、この翁どものいふやう「「いでさうざうしきにいざたまへ、むかしの物語してこのおはさふ人々に、さはいに