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ゝに參らせ給ふなんど女君たちは皆かくなり。男君たちは十一人の御中に五人は〈五人の中三人は關白攝政〉太政大臣にならせ給へり。それあさましくおどろおどろしき御さいはひなりかし。その御外は右兵衞督忠君、又北野三位遠度、又大藏卿遠量、多武峯入道少將君なり。法師にては飯室の權僧正、今の禪林寺の僧正などにこそはおはしますめれ。法師といへど世のなかの一の驗者にて、佛の如くに公私たのみ仰ぎ申さぬ人なし。又北野三位の御子は尋空律師、朝源律師なり。又大藏卿の御女子は〈今の左兵衞督の母上の事なり。〉粟田殿の北の方、今の左衞門のかみの母上、この御ぞうかやうにておはしますべきなかに、多武峯の少將の出家し給へりしほどは、いかにあはれにもやさしくもさまざまなる事どもの侍りしかば、なかにも御門の御消息遣したりしこそおぼろげならずば御心もやみだれ給ひけむとかたじけなくうけたまはりしか。

  「みやこより雲のやへたつおく山のよかはのみづ〈のきイ〉はすみよかるらむ」。

御かへし、

  「こゝのへのうちのみつねにこひしくてくもの八重たつ山はすみうし」。

始はよかはにすませ給ひしぞかし。後には多武峯にすませ給ひき。いといみじく侍りしことぞかし。されどもそれは九條殿后宮などうせおはしまして後の事なり。この右馬のかうの殿の御出家こそ親だちの榮えさせ給ふことのはじめをうちすてゝ、いといとありがたう悲しかりし御事よ。とうよりさる御心まうけはおぼしよらせ給ひにけるにや、御はらからの公達に具し奉りて、正月二七夜のほどに中堂に上らせ給へりけるに、更に御おこなひもせで大殿