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明門院ときこゆ。よろづ斧の柄朽ちにしむかしを改めたる宮のうちなり。ありし後おのがさまざままかで散りける女房、上達部殿上人など世の中くんじいたくて、こゝかしこに籠り居たりしもいつしかと參りつどふさま、谷の鶯の春待ちつけたる心ちしていとたのもしげなり。傅に久我の右のおとゞ長通、大夫に中院の大納言通顯なり給ふ。なべて世に年頃うづもれたりし人々いつしかと司位さまざまに思ふまゝなる氣色ども目の前にうつりかはる世のありさま、今さらならねど、いとしるくけちえんなるもあぢきなし。かくて年もくれぬ。

     第十六〈如元〉 久米のさら山

元弘二年の春にもなりぬ。新しき御代の年のはじめには思ひなしさへ華やかなり。うへも若うきよらにおはしませばよろづめでたく百敷の內何事もかはらず。さるべき公事のをりをり、さらでも院、內おなじ陣の中なれば一つに立ちこみたる馬車ひまなくにぎゝはしけれど見し世の人はひとりもまじろはず、參りまかづる顏のみぞかはれる。先帝はいまだ六波羅におはします。きさらぎの頃空の氣色のどやかにかすみわたりて、ゆるらかに吹く春風に軒の梅なつかしくかをりきて鶯の聲うらゝかなるも、うれはしき御心ちにはものうかるねにのみ聞しめしなさる。ことやうなれどかの上陽人の宮の內思ひよそへらる。長き日かげもいとゞくらし難き御なぐさめにとや聞え給ひけむ、中院より御琵琶奉らせ給ふついでに、いさゝかなる物のはしに、

  「思ひやれちりのみつもる四つの緖にはらひもあへずかゝるなみだを」。