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あへず頭おろしぬ。この人のかく世を捨てぬるを、親王の御事にうちそへてかたがたいみじく御門も口をしくおぼしなげく。世にもいとあたらしく惜みあへり。おなじ年の冬の頃、平野北野兩社に一たびに行幸なり、勸修寺の殿ばら、むかしより近衞司などにはならぬ事にてありつれど、內の御めのと吉田大納言定房過ぎにし頃從一位していとめづらしくめでたければ今は上﨟とひとしきにや、をさなき子の宗房といふも少將になさる。色ゆりなどしてこの平野行幸の舞人にまゐる。土御門大納言顯實の子に通房の中將、堀川の大納言子具雅の中將など皆よき君だち舞人にさゝれて、いづれも淸らに美くしう出でたちて仕うまつられたり。その外はくだくだしければ例のとゞめつ。かやうのめでたきまぎれにて過ぎもてゆく、又の年の春やよひのはじめつかた花御覽じに北山に行幸なる。常よりも殊におもしろかるべいたびなればかの殿にも心づかひし給ふ。まづ中宮行啓、又の日行幸、前の右のおとゞ兼季まゐり給ひて樂所の事などおきてのたまふ。康保の花の宴のためしなど聞えしにや、北殿のさじきにてうちうち試樂めきて家房朝臣舞はせらる。御廉の內に大納言二位殿、播磨內侍など琴かき合せていとおもしろし。六日の辰の時にことはじまる。寢殿の階の間に御しとねまゐりて內のうへおはします。第二の間に后の宮、その次永福門院。昭訓門院も渡らせたまひけるにや。階の東に二條前殿道平、堀河大納言具親、春宮大夫公宗、侍從中納言公明、御子左中辨爲定、中宮權大夫公秦など侍らはる。右のおとゞ兼季琵琶、春宮權大夫冬信笛、源中納言具行笙治部卿篳篥、琴は室町宰相公春、琵琶園宰相基氏など聞えしにや。その日の事見給はねばさ