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ふるきにかはらでめでたく過ぎゆく。延慶二年十月廿一日御禊、おなじ廿四日大嘗會、應長元年正月三日御年十五にて御かうぶりしたまふ。御諱富仁ときこゆ。ひきいれには殿、理髮家平つかうまつり給ふ。南殿の儀式はてゝ御よそひ改めて更にいでさせ給ふ。淸凉殿にて御あそびはじまる。攝政殿箏〈ふしみといふ名物〉右大將公顯琵琶玄上、土御門大納言通重笙〈きさぎえ〉和琴大炊御門中納言冬氏、笛西園寺中納言兼季、別當季衡笙の笛吹き給ひけり。篳篥公守朝臣、拍子有時、めでたくさまざまおもしろくて明けぬ。五日には後宴とて今すこしなつかしうおもしろき事どもありき。この御門をば新院の御子になし奉らせ給ひてしかば、朝覲の行幸の御拜などもこの御前にてぞありける。廣義門院もおなじく國母の御心ちにてよろづめでたかりき。院のうへさばかり和歌の爲に御名たかくいみじくおはしませば、いかばかりかとおぼされしかども、正應に撰者どもの事ゆゑにわづらひどもありて撰集もなかりしかば、いとゞ口をしうおぼされて、

  「我が世にはあつめぬ和歌のうら千鳥むなしき名をやあとにのこさむ」

などよませおはしましたりしを、いまだにと急ぎたゝせ給ひて爲兼の大納言うけ給はりて萬葉よりこなたの歌ども集められき。正和元年三月廿八日奏せらる。玉葉集とぞいふなる。この爲兼の大納言は爲氏の大納言のをとゝに爲敎右兵衞督といひしが子なり。限なき院の御おぼえの人にてかく撰者にもさだまりにけり。そねむ人々おほかりしかどさはらむやは。この院の上好みよませ給ふ御歌のすがたは前藤大納言爲世の心ちにはかはりてなむありけ