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給ひければ、「これしろしめしたることに候ふらむ」とて事のありさまこまかに申したまふに、いとあはれにおぼしめして、「さらなり、皆聞きたることなり。いとふびんなることにこそあなれ。今しかすまじきよし速にいはせむ。かくいましたるいとあるまじき事なり。人してこそいはせたまはめ。疾くかへられね」とおほせられければ、「さこそは返す返すも思ひたまひ候ひつれど、申しつぐべき人の更にさぶらはねば、さりともあはれとは仰事に候ひなむとおもひかまへて參り候ひながらも、いみじくつゝましくさぶらひつるにかくおほせらるゝ申しやる方なくうれしく候ふ」とて、手をすりて泣くけはひに、ゆゝしくも哀にもおぼしめされて殿も泣かせ給ひにけり。出でさせたまふ道に南大門に人々ゐたる中をおはしければなにがしのぬしの引きとゞめられけるこそ、いとぶあいのことなりや。後に殿も聞かせたまひければ、いみじうむづからせ給ひて、いと久しう御かしこまりにていましき。さて御うれへのところは長く論あるまじく、この人の御領にてあるべきよし仰せ下されにければもとよりもいとしたゝかに領じたまふ。極めていとよし。さばかりになりなむには物の耻もしらでありなむ。かしこく申したまへるいとよきことゝ口々ほめ聞えしこそなかなかにおぼえ侍りしか。大門にてとらへたりし人は式部太夫政成が父なり。さばかり優におはしけむ御すゑこそ少しはかばかしき人なけれ。〈甲斐前司師季が先祖しなのゝいかうこそはあれどほふしなれば。〉