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となれがほに添ひ臥すをとこあり。夢かやとおぼして御覽じあげたれば「年月思ひ聞えつるさまおほけなくあるまじき事と思ひかへさひ、こゝら忍ぶるにあまりぬるほど、唯少しかくて胸をだにやすめ侍らむばかり」などいみじげに聞ゆるは、はやうありつる中將なりけり。いとうたて心うのわざやとおぼすに御淚もこぼれぬ。ちかきてあたり御もてなしのなよびかさなどまして思ひしづむべうもなければ、いといとほしうゆくりなき事とは思ひながら、のこりなうなりぬる身のうさのかぎりなうもあるかなとさきの世もうらめしういふかひなき事をおぼしつゞけて「よゝ」と泣きたまふさまいよいよらうたし。見るとしもなき夢のたゞちをうちおどろかす鐘の聲、鳥の音も、人やりならぬ心づくしにえいでやらず、

  「おきわかれ行く空もなきみち芝の露よりさきに我やけなまし」。

出でがてにやすらひたるおも影も、何の御めとまるふしもなし。さばかりいみじかりし院の御目うつりに、こよなの契の程やとおぼし知らるゝもつらければいらへもし給はず。あさましうも心うくもさまざまおぼしみだるゝに御心ちもまめやかに損はれぬべし。按察の君といふ人かたらひとられけるなめり。忍びて御消息しげう聞ゆるをもいとうたて心づきなうおぼされながら、さてしもはてぬならひにやいと又哀なる事さへものし給ひけり。かゝるにつけてもこの世ひとつにはあらざりける御契の程淺からずおしはからる。中將も夜と共にあくがれまさりて夢の通路あしもやすめずなりゆく。この御氣色もやうやうしるきほどになり給へば、空おそろしとて忍びて御めのとだつ人の家などいひなして白川わたりかごや