Page:Kokubun taikan 07.pdf/633

このページは校正済みです

直衣おなじ院へまゐり給ふ。同じ廿日ほういの御幸はじめ北白川殿へ入らせ給ふ。八葉の御車、萠木の御狩衣、山吹の二御ぞ、紅の御ひとへ、薄色の織物の御指貫たてまつる。本院は故院の御第三年の事おぼし入りて、む月のすゑつかたより六條殿の長講堂にて哀にたふとく行はせ給ふ。御指の血をいだして御手づから法華經など書かせ給ふ。衆僧も十餘人がほど召しおきて懺法などよませらる。御おきての思はずなりしつらさをもおぼし知らぬにはあらねど、それもさるべきにこそはあらめと、いよいよ御心をいたしねんごろにけうじまうさせ給ふさまいとあはれなり。新院もいかめしう御佛事嵯峨殿にて行はる。三月廿六日は御即位めでたくて過ぎもてゆく。十月廿一日御禊なり。十九日官廳ヘ行幸あり。女御代花山院よりいださる。絲毛の車、寢殿の階の間に左大臣殿、大納言〈長雅〉よせらる。みな紅の五の衣、同じきひとへ車の尻よりいださる。十一月十九日又官廳へ行幸。二十日より五節はじまるべく聞えしをむくりおこるとてとまりぬ。廿二日大甞會。廻立殿の行幸節會ばかり行はれて淸暑堂の御神樂もなし。新院は世をしろしめす事かはらねば、よろづ御心のまゝに日頃ゆかしくおぼしめされし所々いつしか御幸しげう華やかにてすぐさせ給ふ。いとあらまほしげなり。本院は猶いとあやしかりける御身の宿世を人の思ふらむ事もすさまじうおぼしむすぼゝれて、世を背かむのまうけにて尊號をもかへし奉らせ給へば、兵仗をもとゞめむとて御隨身どもめして祿かづけいとま賜はするほど、いと心ぼそしと思ひあへり。大方のありさまうち思ひめぐらすもいと忍びがたき事多くて、內外人々袖どもうるひわたる。院もいと哀なる御けし