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御歎きはさる事にて、朝夕むつましく仕うまつりし人々の思ひしづみあへるさま、ことわりにもすぎたり。その中に經任の中納言は人よりことに御おぼえありき。年も若からねば定めて頭おろしなむと皆人思へるに、なよらかなる狩衣にて御骨の御つぼもちまゐらせて參れるを、思ひの外にもと見る人思へり。權中納言公雄ときこゆるは皇后宮の御せうとなり。早うより故院いみじくらうたがらせ給ひて、夜晝御傍去らずさぶらひて明暮つかうまつらせ給ひしかば、かぎりある道にもおくらかし給へることを、若きほどにやる方なく悲しと思ひ入りたまへり。西の對のまへなる紅梅のいとうつくしきを折りて具氏の宰相中將、かの中納言に消息きこゆ。

  「梅のはな春ははるにもあらぬ世をいつとしりてか咲き匂ふらむ」。

かへし、

  「心あらばころもうき世の梅の花をりわすれずばにほはざらまし。

夜さり對面に何事も聞えむ」といへるを、この中將も故院の御いとほしみの人にておなじ心なる友におぼえければいとあはれにて、悲しき事も語りあはせむと日ぐらし待ちゐたるに遂に見えず。あやしとおもふにはやその夜頭おろしてけり。齡もさかりに、今も皇后宮の御せうと春宮の御伯父なれば世おぼえ劣るべくもあらず。思ひなしも賴もしくほこりかなるべき身にて、かく捨てはつるほどいみじくあはれなれば、皆人いとほしう悲しき事にいひあつかふめり。經任の中納言にはこよなき心ばへにや。父おとゞも院の御事をつきせずなげき