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を御使にて「あからさまに參らせ給へ」とあるを、おぼしもかけぬ事なれば驚かせ給ひて「何しに召すぞ」と問はせ給へば、「申させ給ふべき事のさぶらふにこそ」と申すを、この聞ゆる事どもにやとおぼせど、のかせ給ふ事にはさりとも世にあらじ、みくしげ殿の御事ならむとおぼす。「いかにも我が御心ひとつには思ふべき事ならねば驚きながら參り候ふべきを、おとゞにあない申してなむさぶらふべき」と申させ給ひて、まづ殿にまゐり給へり。「東宮よりしかじかなむ仰せられたりつる」と申させ給へば、殿もおどろかせ給ひて「何事ならむ」と仰せられながら、大夫殿の御同じやうにぞ思しよられける。「誠にみくしげ殿の御事のたまはせむをいなび申さむも便なし。參り給ひなば、又さやうに怪しくてはあらせ奉るべきならず。又さては世の人の申すなるやうに春宮のかせ給はむの御思ひあるべきならずかしとはおぼせど、しかわざと召さむにはいかでか參らではあらむ。いかにものたまはせむ事を聞くべきなり」と申させ給へば、參らせ給ふ程日も暮れぬ。陣に左大臣殿の御車やごぜんどものあるをなまむづかしとおぼせど、歸らせ給ふべきならねば殿上にのぼらせ給ひて、「參りたるよし啓せさせよ」と藏人にのたまはすれば、おほい殿のお前にさぶらはせ給へば、「唯今はえなむ申し候はぬ」ときこえさするほど、見まはさせたまふに、庭の草もいとふかく、殿上のありさまも東宮のおはしますとは見えずあさましうかたじけなげなり。おほい殿出で給ひてかくと啓すれば、あさがれひの方にいでさせ給ひて、めしあれば參り給へり。「いと近くこち」と仰せられて「物せらるゝ事もなきに、あないするもはゞかり多かれど、おとゞに聞ゆべ