Page:Kokubun taikan 07.pdf/595

このページは校正済みです

〈きんすけ〉緋紺のかりぎぬ、紅のきぬ、白きひとへにて、えもいはぬさまして仕うまつり給ふ。檢非違使北面などまで思ひ思ひにいかでめづらしきさまにと好みたるはゆゝしき見物にぞ侍りし。衞府の上達部ばかり、きぬの隨身に弓やなぐひをもたせたり。人だまひ二輛、一の車にいろいろの紅葉を濃くうすく、いかなる龍田姬がかゝる色を染めいでけむとめづらかなり。二の車は菊をいだされたるも、なべての色ならむやは。その外院の御めのと大納言二位殿、いとよそほしげにて、諸大夫さぶらひ淸げなる召し具してまゐり給ふ。宰相三位殿ときこゆるは、かの若宮の御母兵衞の內侍殿といひし、この頃は三位したまへり。今一きはめでたくゆゝしげにて北面の下﨟三人、諸大夫二人心ことにひきつくろひたるさまなり。建久に後鳥羽院宇治の御幸の時、修明門院その頃二條の君とて參り給へりし例をまねばるゝとぞ聞えける。又大納言のすけとは藤大納言爲家のむすめ、それもべちにひきさがりていたく用意ことにてまゐらる。宇治川の東の岸に御舟まうけられたれば御車より奉りうつるほど夕つかたになりぬ。御舟さしいろいろのかりあをにて八人づゝさまざまなり。もとゝもの中將、院の御はかせもたる。あきとも御しぢまゐらす。平等院のつりどのに御ふねよせておりさせたまふ。本だうにて御誦きやうあり。御導師まかでゝのち、阿彌陀堂御經藏せんぼふ堂までことごとく御らんじわたす。かはの左右のきしにかゞりしろくたかせて鵜かひどもめす。ゐんの御まへよりはじめて御だいどもまゐる。しろかねの〈恐有脫文〉    にしきのうちしきなどいときよらにまうけられたり。ばいぜんのごんたいなごんきんすけ、やくそうはてんじやうひとな