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より錄たまふ。內膳司まゐりて、うるはしき作法にて南殿より御前まゐるさま、日ごろのには似ずけだかうめでたし。その後御あそびはじまる。人々の所作さのみは珍しげなくてとゞめつ。九夜は承明門院よりの御沙汰なれば、それもいかめしき事どもありしかどうるさくてなむ。こゝらの年ごろおぼしむすぼゝれつる女院の御心の中名殘なく胸あきて、めでたくおぼさるゝ事かぎりなし。閑院殿修理せらるゝ程とて十五日に御門承明門院へ行幸なれば、いとゞしげうさへ見奉らせたまふに御心ゆく事多く、げにいみじきおいの御さかえなりかし。覺子內親王とて御傍におはしましつる御うまご、これも土御門の院の姬宮さへこの廿六日かとよ、院になし奉らせ給へり。おほぎまちの院ときこゆ。うへのおなじ御腹におはすれば、よろづ定通のおとゞ事行ひ給ふ。院號のさだめ侍るまゝに、陣より上達部皆ひきつれて承明門院へまゐる。おとゞは御簾のうちにて女房の事どもなど忍びやかにおきてのたまひけり。其の夜又兵衞內侍の御はらの若宮〈宗尊親王の御事なり。〉、御いかの儀式この院にて沙汰あり。后腹の御子ほどこそおはせねど、これも御門わたくしものにいといとほしうおぼすことなれば、御けしきにしたがひて上達部殿上人いみじうまゐりつどふ。關白殿まゐりたまひてくゝめ奉りたまふ。陪膳通成三位中將、やくそう家定朝臣つかうまつりける。人々のけんばい饗などはなし、建久に土御門院の御いかきこしめしける例とぞ。かくて中宮の若宮はその廿八日に親王の宣旨あり。さて七月廿八日に中宮も今宮も內にまゐりたまふ。例の事なればかなたこなたの供奉上達部、殿上人かずをつくして、ふるきためしもいと稀なるほどにぞ聞えける。宮は