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かるべき御ほどなり。信實朝臣召して御姿うつし書かせらる。七條の院へ奉らせ給はむとなり。かくておなじ十三日に御船にたてまつりて遙なるなみぢをしのぎおはします御心ち、この世のおなじ御身ともおぼされず。いみじういかなりける代々のむくいにかとうらめしく。新院も佐渡國にうつらせ給ふ。まことや七月九日、御門をもおろし奉りき。このうつきかとよ、御讓位とてめでたかりしに、夢のやうなり。七十餘日にており給へるためしもこれやはじめなるらむ。もろこしにぞ四十五日とかや位におはする例ありけるとぞ、からのふみよみし人のいひし心ちする。それもかやうのみだれやありけむ。さて上達部殿上人、それよりしもはた殘るなく、この事にふれにしたぐひは重く輕く罪にあたるさまいみじげなり。中院ははじめよりしろしめさぬ事なれば、あづまにもとがめ申さねど、父の院遙にうつらせ給ひぬるに、のどかにて都にてあらむ事いとおそれありとおぼされて、御心もてその年閏十月十日土佐の國のはたといふ所に渡らせ給ひぬ。去年のきさらぎばかりにや若宮いできたまへり。承明門院の御せうとに通宗の宰相中將とて、若くてうせ給ひにし人のむすめの御腹なり。やがてかの宰相の弟に通方といふ人の家にとゞめ奉り給ひて、近くさぶらひける北面の下﨟一人召次などばかりぞ、御供つかうまつりける。いとあやしき御手輿にて下らせ給ふ。道すがら雪かきくらし風吹きあれふゞきして、こしかたゆくさきも見えず、いと堪へがたきに、御袖もいたくこほりてわりなき事おほかるに、

  「うき世にはかゝれとてこそうまれけめことわりしらぬわが淚かな」。