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     左大臣師尹

このおとゞは忠平の大臣の五郞、小一條おとゞと聞えさすめり。御母九條殿におなじ。大臣の位にて三年。康保四年十二月に左大臣にうつり給ふ事、西宮の筑紫へ下り給ふ御かはりなり。〈安和二年五月右大臣になり給ひ、大將かけ給ふ。十月十四日うせさせ給ふ。御年五十。〉その御事のみだれは、この小一條のおとゞのいひいで給へるとぞ世の人聞えし。さて年もすぐさずうせ給ふなどこそ申すめりしか。それもまことにや。御むすめ村上の御時の宣耀殿の女御、かたちをかしげに美くしうおはしけり。內へ參り給ふとて御車にたてまつり給ひければ、我が御身は乘り給ひけれど、御ぐしのすそはもやの柱のもとにぞおはしける。一すぢをみちのくに紙におきたるに、いかにもさま見え給はずとぞ申し傳へためる。御目のしりの少しさがり給へるがいとゞらうたくおはするを、御門いとかしこく時めかさせ給ひてかく仰せられける。

  「生きての世しにてののちの後の世もはねをかはせる鳥となりなむ」。

御かへし、女御、

  「秋になることの葉だにもかはらずばわれもかはせる枝となりなむ」。

古今うかべさせ給へりと聞かせ給ひて、御門試に本をかくして女御には見せ奉りたまはで、やまとうたはとあるをはじめにて、末の句のことばを仰せられつゝ問はせ給ひけるに、いひたがへ給ふことばにても歌にてもなかりけり。かゝる事など父おとゞは聞き給ひて、御裝束し御手あらひなどしてところどころに讀經などし念じ入りてぞおはしける。御門御さうの