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はものとも思はぬことのいひしらず見えける程に、むしたれたるはざまよりや見えけむ。ふみをかきて、京より御ふみとてあるを見れば、大臣殿の御使にはあらで、思ひがけぬ筋の文なりけり。ありつる石淸水の僧の舟の人など見しりたるとも人といひければ〈どイ〉きゝも入れぬほどにかたがた思ひかけずいはせければ、いなびもはてゞ下りて、かの筑紫の母むかへとりて、都にしすゑなどしたりけるとなむきこえしは、小大進とかいふ人の事にやあらむ。

陸奧守橘爲仲と申す、かの國にまかり下りて、五月四日舘に廳官とかいふ者年老いたる出できて、あやめふかするを見ければ、例の菖蒲にはあらぬ草を葺きけるを見て、「けふはあやめをこそ葺く日にてあるに、是れはいかなるものを葺くぞ」と問はせければ、「傳へうけたまはるは、この國には、むかし五月とてあやめふく事も知り侍らざりけるに、中將のみたちの御時、けふは菖蒲ふくものをいかにさることもなきにかとのたまはせければ、國の例にさること侍らずと申しけるを、さみだれのころなど軒のしづくも、あやめによりてこそ、今少し見るにも聞くにも心すむことなれば、はや葺けとのたまひけれど、この國にはおひ侍らぬなりとまうしければ、さりとてもいかゞ日なくてはあらむ。あさかの沼のはなかつみといふもの有り。それを葺けとのたまひけるより、こもと申すものをなむふき侍るとぞ、むさしの入道隆資と申すは語り侍りける」もし然らばひく手もたゆく長きねといふ歌おぼつかなく侍り。實方中將の御墓はみちのおくにぞ侍るなると傳へきゝ侍りし。誠にや、藏人の頭にも成り給はで、みちのおくの守に成り給ひてかくれたまひにしかば、この世までも、殿上のつきめ