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とおぼしめさば、賴綱を供せさせ給へ。べちの者もまかりいるまじ。あらひたる佛供なむ、ふたかはらけそなへさせ給へ」などぞいひける。其の歌おほく侍れども、

  「なつ山のならのはそよぐゆふぐれはことしも秋のこゝちこそすれ」

といふ歌ぞ、人のくちすさびにし侍るめる。

近き世に女ありけるを、八幡なる所に宮寺のつかさなる、僧都ときこえし小侍從とかいふ親にやあらむ。その坊にこめすゑて程經けるほどに、都より然るべき人のむすめをわたさむといひければ、「かゝることのあるに、人の聞く所も憚らはしければ、しばし都へかへりて、むかへむ折こ」とてしたてゝ出だしけるが、あまりこちたく、贈り物などしてぐしければ、今はかくてやみぬべきわざなめりと思ひけるにつけても、いと心ぼそくて硯がめのしたに歌をかきておくりけるを、とりいでゝ見ければ、

  「行く方もしらぬうき木の身なれどもよにしめぐらは流れあへかめ」

となむよめりけるを見て、むすめなりける人は、院のみやみやなどうみ奉りたるが、まだ若くおはしけるに京へ送りつる人「此の歌をよみおきたる返事をやすべき。又迎へやすべき」と申しあはせければ、「かへしはよのつねのことなり。迎へ給へらむこそ歌のほいも侍らめ」と聞こえければ、心にやかなひけむ、その日のうちに迎へに更にやりて、「けふかならずかへらせ給へ」とて、あけゆく程にかへりにけり。またその然るべき人のむすめを、いひしらず、ゐどころなどしつらひ、はしたもの雜仕などいふもの數あまたしたてゝすゑたりけれど、一