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とぞよみてたてまつりける。

公經とか聞こえし手かき、ことよろしき國の司になりたらば、寺なども作らむと思ひしを、河內といふあやしき國になりたればかひなし。ふる寺などをこそは修理せめと思ひて、見ありきけるに、あるふるてらの佛の座の下にふみの見えけるを披きて見ければ、沙門公經と書きたるふみに、こむ世にこの國の司になりて、この寺修理せむといふ願たてたるふみ見てぞ然るべき契りなりけるといひける。かきたる文字のさまなども似たる手になむありける。ふしみの修理のかみのやうにおなじ昔の名をつけるなるべし。

大外記定俊といひしが越中守になりて侍りけるに、國のものは思ふさまに侍りけれども、國の人のないがしろに思へるをあやしみ思ひて、寐たりける夜のゆめに、むかし此の國にめくらきひじりの持經者にて有りけるが、生まれてかくはなりたるぞ。人のあなづらはしく思へるは昔のなごりなるべし。そのひじり、さきの世に彼の國の牛なりける時、法華經一部を負ひて山寺にのぼりたりしゆゑに、持經者になれりしが、此の度は國のかみとなりて、色の黑きもそのなごりとぞ見たりける。昔のなごりにや、末には法師になりて、江文のかたにこもりゐて行ひけるとぞ聞こえ侍りし。その子にて信俊ときこえしも、身は世に仕へながら佛の道をのみ營みて、おいの後にはかしらおろしなどして、限りの時にのぞみては、みづから肥後の入道往生したりと云ひあはむずらむなど申して尊くてうせにけるに、かうばしき匂ひありけるなどきこえ侍りき。