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  「かねてより思ひしものをふししばのこるばかりなる歎きせむとは」

とて奉りたりければ、やがてふししばとつけ給ひて、折ふしには音づれ奉りければ、今宵はふししば音すらむものをなどあるに、すぐさず歌よみて奉りなどして、いたきものとて常に申しかはす女ありけり。土御門のさきのいつきの御もとに中將の御とかいひけるものとかや。北の方は手かき歌よみにおはして、いというなる御中らひになむありける。あまりほかにやおはしけむと聞こえしは、鳥羽の院くらゐの御時に、大將殿菊をほりにやりて奉り給ひけるに、うすやうにかきたる文のむすびつけて見えければ、みかど御覽じつけて、「かれは何ぞ。取りて參れ」と藏人に仰せられけるに、おほい殿はふと心えて色もかはりて、うつぶしめになり給へりけるほどに、みかどひろげて御覽じければ、

  「こゝのへにうつろひぬとも菊の花もとのまがきをわすれざらなむ」

とぞありける。きさいの御姉におはすれば、ときどき參りかよひ給ふにつけつゝ、しのびてきこえ給ふことなどもおはしけるなるべし。昔のみかどの御世にもかやうなる御ことは聞こえて、なほなほなど仰せられければ、餘りなることも侍りけるやうに、これもおはしけるにや。殿の色好み給ふなど、大方うへはのたまはせず、へだてもなくて文ども取り入れて歌よむ女房にかへしせさせなどし、上のめのとの車にてぞ女おくり迎へなどしたまひける。殿もこゝかしこにありき給ひける、家の女房どもゝをとこの許よりえたる文をも、その北の方に申しあはせて、歌の返しなどし給ひける。小大進などいふ色好みの、をとこいもとより得