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其の由きこえしるべきなり」などありて、賴みておはしける程に、その日になりて、見せに遣はしたりければ、御物忌にて、門さしておはしければ、俊明の大納言をぞ、尊者には呼び給ひける。四條の宮は、「むげに下りたる世かな」とて、泣かせ給ひけるとかや。臨時の祭の一の舞、少將のし給はぬ、やすからぬ心にて、かくたがへ給ふなりけり。その入道右のおとゞ、宰相の中將と申しゝ時、實能のおとゞの、三位の中將とておはせし、こえて中納言になり給ひけるにも、太政のおとゞ、院をうらみ申し給ふと聞かせ給ひて、「中宮のせうとにて、うちのせさせ給ふ、すぢなきことかな」と仰せられながら、長忠の宰相、左大辨にて中納言になりたりけるを、「子を辨になさむと申しけるものを」とて、中納言にて七八日ばかりやありけむ、長忠をば大藏卿になして、子の能忠をば辨になしてぞ、中の院の宰相中將は、中納言になりたまふと承はりし。待賢門院中宮にたゝせ給ひけるにや、白河の院、盛重とてありしを御使にて、太政のおとゞに、「何事も、思ふ事のかなはぬはなきに、上﨟女房なむ心にかなはぬことはあるを、思ひかけず、上﨟女房をまうけたることなむ侍る」と仰せられたりければ、いかなる人の事にかと問ひ給ふに、ほか腹の姬君のおはしける御事なりけり。それを聞き給ひて、御後見呼びて、「その姬君のもとへ、さたしやる事どもは怠らぬか」と問ひ給へば「更に怠り侍らず」と申すに、「今はそのさたあるまじ」とありければ、御使も後見も、いと思はずに思へりけり。「御かへりいかゞ」と申しければ、「うけ給はりぬ」とばかり申し給ひけり。院はともかくものたまはざりけりとなむ。かやうに院にも關白にも憚り給はぬ人におはしけり。御