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おはする。それは諸方の辨のむすめの腹にや。奈良には淸き僧もかたきを、いと尊き人にぞおはしますめる。和歌こそよくよみ給ふめれときこえ侍りしか。
「やどもやど花もむかしに匂へどもぬしなき色はさびしかりけり」
とよみ給ふ。詞もいひなれ、すがたもよみすまされ侍る。近院の大臣の、河原院にてよみたまへるうた、
「うちつけに寂しくもあるかもみぢばの主なき宿は色なかりけり」
といふ御うたの心なるものから、よみかへられて、いとやさしくきこえ侍る。又範永が、「月のひかりもさびしかりけり」といふ歌の心なれども、それにかはりて侍り。おなじ御はらの兄にて、寺の仁證法印とてもおはしき。猶僧公だちは、あら法眼など申すもおはしき。又てらに法印など申すも、大方をとこぎみ、十五六人ばかりやおはしましけむ。
今鏡第六
ふぢなみの下
繪合の歌
鷹司殿の御はらの公だちの御流れ皆申し侍りぬ。高松の御はらの、堀河の右大臣賴宗のおとゞこそ、關白にはなり給はざりしかども、女御たてまつりなどし給ひ、末のきみたちも、近く