Page:Kokubun taikan 07.pdf/39

このページは検証済みです

き石のやうに御身にあてゝ持ちたまへりけるが、ぬるくなれば小きをばひとつづゝ、大きなるをば中よりわりて御車ぞひに投げとらせ給ひける、あまりなる御用意なりかし。その世にも耳とゞまりて人の思ひければこそかくいひ傳へ侍るらめ。この殿ぞかし、病つきたまひてさまざまのいのりし給ひしに、藥師經の讀經枕上にてせさせ給ふに、いはゆる宮毗羅大將とうちあげたるを、われをくびると讀むなりけりとおぼしける臆病に、やがて絕えいり給へり。經のもんといふ中にもこはき物のけにとりこめられ給へる人に、げに怪しくうちあげ侍るかし。さるべきとはいひながら、物はをりふしことに侍る事なり。その弟の敦忠中納言もうせ給ひにき。世にめでたき和歌の上手、管絃の道にも優れ給へりき。かくれ給ひて後、御遊びなどあるをりに博雅三位のさはる事ありて參られぬ時は今日の御遊はとゞまりぬと度々召されてまゐるを見て、ふるき人々は「世の末こそあはれなれ。敦忠中納言のいませし時はかゝる道にこの三位の、おほやけを始め奉りて、世の大事に思はるべきものにとこそ思はざりしか」とぞのたまひける。先坊に御息所參り給ふこと、本院のおとゞの御むすめ具して三四人なり。本院のはうせ給ひにき。中將の御息所ときこえし、後はしげあきらの式部卿のみこの北の方にて、齋宮の女御の御母にてそもうせ給ひにき。いとやさしくおはせし先坊を戀ひかなしみたまふ。大輔なむ夢に見奉るときゝておくり給へる、

  「時のまもなぐさめつらむ君はさぞゆめにだに見ぬわれぞかなしき」。

御返事、大輔、