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でわたらせ給ひたれば、贄殿まゐることあるまじ。日もやうやうたけて、いかでか、御設けなくてあらむ」といひければ、殿笑はせ給ひて、たゞ「せめよ」など仰せられける程に、家の司なるあきまさといひて、光俊有重などいふ學生の親なりしをのこ、けしき聞えければ、修理のかみたちいでゝかへり參りて、あるじして、きこしめさすべきやう侍らざるなり。御臺などの新しきも、かく御覽ずる山のあなたの庫におきこめて侍れば、便なくとりいづべきやう侍らず。あらはに侍るは皆人の用ひたるよし申しければ「何の憚りかあらむ。たゞ取り出だせ」と仰せられければ「さば」とて立ち出でゝ、取り出だされけるに、色々の狩裝束したる、伏見さぶらひ十人、いろいろのあこめに、いひしらぬ染めまぜしたるかたびら、くゝりかけ、とぢなどしたる雜仕十人ひきつれて、倉のかぎ持ちたるをのこ、先にたちてわたる程に、雪にはえて、わざとかねてしたるやうなりけり。さきに跡ふみつけたるを、しりにつゞきたる男女同じあとをふみてゆきけり。かへさには、御臺高坏しろがねの銚子など、一つづゝさげて持ちたるは、このたびはしりにたちてかへりぬ。かゝる程に上達部殿上人、藏人所の家司、職事御隨身など、さまざまに參りこみたりけるに、この里かの里所々にいひしらぬ供へども目もあやなりけり。師信「いかにかくは俄にせられ侍るぞ。かねて夢など見侍りけるか」など戯ぶれ申しければ、俊綱の君は「いかでかゝる山里にかやうの事侍らむ。用意なくては侍るべき」などぞ申されける。伏見にては、時の歌よみどもつどへて、和歌の會たゆるよなかりけり。伏見の會とて、幾らともなく積もりてなむあなる。「音羽の山のけさはかすめる」などよまれた