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   良相大臣

   長良中納言〈二條后のてゝなり〉

   昭宣公〈基經〉

   時平大臣〈基經太郞〉

     左大臣冬嗣

このおとゞは內麻呂のおとゞの三郞。公卿にて十六年、左の大臣の位にて六年、田邑の御おほぢにおはします。かるがゆゑに、嘉祥三年庚午七月七日、贈太政大臣になり給へり。閑院大臣と申す。このおとゞは大かたをのこ子十一人おはしたるなり。されどくだくだしきをんな子たちのことはくはしくしりはべらず。たゞし、田むらの御かどの御はゝきさき、贈太政大臣なが良のおとゞ、太政大臣よしふさのおとゞ、右大臣よしすけのおとゞはひとつ御はらなり。

     太政大臣良房

このおとゞは左大臣冬嗣の次郞なり。天安元年丁丑二月十九日太政大臣になり給ふ。同年四月十九日從一位。御年五十四。水の尾の御門の御孫におはしませば、天安二年八月廿七日に位に即かせ給ふ。同年戊寅十一月七日攝政の詔あり。年官年爵給はり給ふ。貞觀八年丙戌關白にうつりたまふ。御年六十三。うせ給ひての御いみな忠仁公となづけ奉る。又白川の大臣、染殿の大臣と申しつたへたり。たゞしこのおとゞは文德天皇の御をぢ太皇太后宮明子の御父、淸和天皇の御おほぢにて太政大臣准三宮位にのぼらせたまひ、年官年爵の宣旨くだり、攝政關白などしたまひて十五年こそはおはせしか。大かた公卿にて三十年、大臣の位にて廿