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とぞのたまひし。三年と申しゝ十一月に太子御年十九にて元服したまひき。五年と申しゝ二月に御門忍びやかに太子にのたまはく「蘇我の大臣、內にはわたくしをほしきまゝにし、外にはいつはりをかざり、佛法を崇むるやうなれども、心正しからず。いかゞすべき」とのたまひしかば、太子「唯この事をしのび給ふべし」と申し給ひしほどに、十月に人のゐのしゝを奉りたりしを御門御らんじて「いつか猪の首を斬るが如くに、わがきらふ所の人をたちうしなふべき」とのたまはせしかば、太子大におどろき給ひて「世の中の大事この御詞によりてぞ出でくべき」とて俄に內宴をおこなひて、人々に祿賜はせなどして「今日御門ののたまはせつる事ゆめゆめちらすな」とかたらひ給ひしを、誰かいひけむ、蘇我の大臣に「御門かゝる事をなむのたまひつる」と語りければわが身をのたまふにこそと思ひて、御門をうしなひ奉らむとはかりて東漢駒といふ人をかたらひて十一月三日御門をうしなひ奉りき。宮の中の人おどろきさわぎしを蘇我の大臣その人を捕へさせしめしかば、人々この大臣のしわざにこそと知りて、とかくものいふ人なかりき。大臣駒を賞してさまざまの物を賜はせて我が家の中に、女房などの中にも憚りなく出で入り心に任せてせさせし程に、大臣のむすめを忍びてをかしき。大臣この事をきゝて大きにいかりて、髮をとりて木にかけて自らこれを射き。「汝おろかなる心をもちて御門をうしなひ奉る」といひて矢を放ちしかば、駒叫びて「われその時に大臣のみをしれりき。御門といふことを知り奉らず」といひしかば、大臣この時いよいよ怒りて、劍をとりて腹をさき頭を斬りてき。大臣の心あしきこといよいよ世間にひろまり