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   卅八孝德天皇〈大化五白雉五〉

   卅九齊明天皇

   四十天智天皇

   四十一天武天皇〈朱雀一朱鳥一白鳳十三〉

   四十二持統天皇〈朱鳥八大寶二〉

   四十三文武天皇〈大寶三慶雲四〉

   四十四元明天皇〈和銅七〉

   四十五元正天皇〈靈龜二養老七〉

   四十六聖武天皇〈神龜五天平廿〉

   四十七孝謙天皇〈天平勝寶八天平寶字二〉

     第卅二敏達天皇〈十四年崩。年二十四。葬河內國長職中屋陵。〉

次の御門敏達天皇と申しき。欽明天皇の第二の御子。御母宣化天皇の御女石姬の皇后なり。欽明天皇の御世十五年甲戌正月に東宮に立ち給ふ。壬辰の年四月三日位に即き給ふ。世をしり給ふ事十四年なり。今年正月一日ぞ聖德太子は生れ給ひし。父の用明天皇は御門の御弟にて、いまだ皇子と申しゝなり。御母宮の內を遊びありかせ給ひしに厩のまへにて御心にいさゝかも覺えさせ給ふ事もなくて俄に生れさせ給ひしなり。この月までは十二ヶ月にぞあたらせ給ひし。人々急きいだきとり奉りてき。かくて赤く黃なるひかり西の方よりさして御殿の內をてらしき。御門このよしを聞し召して行幸なりて事のありさまを問ひ申し給ふに、又ありつるやうに宮の內光さしてかゞやけり。みかどあさましと思して「たゞ人には坐すまじき人なり」とぞ人々にはのたまはせし。四月になりにしかば、物などいとよくのたまひき。今年の五月とぞおぼえ侍る。高麗より鳥の羽にものを書きて奉りたりしを、いかにして讀むべしとも覺えぬ事にて侍りしを、なにがしの王とかや申しゝ人のこしきの內におきてうつし