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やりておぢおそれ色をうしなひて山中にかくれ給ひてそのゆきがたを知らずなりにき。かくてあくる年の正月に越前國に應神天皇の五代の御孫の王おはすといふ事聞えて、又つかさつかさ御迎へに參りたりしに、この王驚く御氣色なくして、あぐらに尻をかけて御前に候ふ人々かしこまり敬ひ奉る事おほやけの如くなりき。この御迎へにまゐりたる人々いよいよかしこまりて事のよしを申しき。王この事をうたがひ給ひて空しく二日二夜をすぐさせ給ひき。御迎への人々重ねて大臣の迎へ奉るよし、事のありさまを申し侍りし時に京へ入り給ひしなり。さりながらも位をうけとり給はざりしかば、大臣をはじめてあながちに勸め奉りしかば、遂に位に即き給ひしなり。この御時、都うつり三度ありき。

     第廿九安閑天皇〈二年崩。年七十。葬河內國古市高屋丘陵。〉

次の御門安閑天皇と申しき。繼體天皇の御子。御母妃尾張目子媛。癸丑の年二月に位に即き給ふ。御年六十八。世をしり給ふ事二年。御位に即きたまひて明くる年正月に都大和の高市郡にうつりにき。

     第卅宣化天皇〈四年崩。年七十二。葬大和國身狹桃花鳥坂上陵。〉

次の御門宣化天皇と申しき。安閑天皇のひとつはらの御弟におはします。乙卯の年十二月に位に即き給ふ。御年六十九。世をしり給ふ事四年。位に即き給ひて三年と申しゝにぞ、天臺大師生れ給ひし時に侍りしと、後にうけたまはりし。

     第卅一欽明天皇〈二十二年崩。年八十。葬大和國檜隈坂合陵。〉