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む。行く末にこの御堂の草木となりにしがなとこそ思ひ侍れ。さればものゝ心しりたる人は望みても參るべきなり。されば翁らまだあらしか一度かゝず奉り侍るなり。さて參りたればあしきことやはある。いひさけしげくたび、もてまゐるくだものをさへ惠みたび、常に仕うまつるものは衣裳をさへこそはたまひ行はしめ給へ。されば參る下人もいみじういそがしがりて、進み集ふめる」」といへば、「「しかそれさる事に侍り。但し翁が思ひえて侍るやうは、いとたのもしきなり。翁いまだ世に侍るに、衣裳やれむづかしきめ見侍らず、又いひ酒にともしきめ侍らず、もしこの事どもすぢなからむ時は、紙三枚をぞもとむべき。故は入道殿下のお前に申文を奉るべきなり。その文につくるべきやうは、翁、故太政大臣貞信公の殿下の御時の小舍人童なり。それおほくの年つもりて、すぢなくなりにて侍り。閣下の君すゑの家の子におはしませば、おなじ君とたのみ仰ぎ奉る。物少し惠みたまはらむと申さむには、少々の物はたばじやはと思へば、それあるものにて倉におきたるが如くなむ思ひ侍る」」といへば、世繼、「「それはげにさる事なり。家貧しくならむをりはみ寺に申文奉らしめむとなむ、卑しきわらはべとうちかたらひ侍る」」とおなじ心にいひかはす。「「さてもさても嬉しく對面したるかな。年ごろの袋の口あけほころびをたち侍りぬることゝ、さてもこののゝしる無量壽院には、いくたび參りて拜み奉り給ひつ」」といへば「「おのれは大御堂供養の年の會の日は人いみじうはらふべかなりと聞きしかば、試樂といふ事三日かねてせしめ給ひしになむ參りて侍りし」」といへば、世繼、「「おのれはたびたび參り侍りぬ。供養の日のありさまのめでたさ