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り奉りて養ひかしづき奉りて用ゐ給へるに、西宮殿も十五の宮もかくれさせ給ひにし後に、故女院の后に坐しましゝをり、この姬君を迎へとり奉らせ給ひて、東三條殿の東の對に帳をたてゝ壁しろをひき、我が御しつらひにいさゝかおとさせ給はず、しすゑきこえさせ、女房、侍、けいし、しも人までべちにあかちあてさせ給ひて姬宮などのおはしまさせし如くに限もなく思ひかしづき聞えさせ給ひしかば、御せうとの殿ばら我も我もとけさうじ奉り給ひけれど、后かしこく制し申させ給ひて、今の入道殿をぞゆるし聞えさせ給ひければ、通ひ奉らせ給ひしほどに、女君二所男君四所おはしますぞかし。女君と申すは今の小一條院の女御、今一所は故中務卿宮具平親王と申す。村上の七のみこにおはしましき。その御男君三位中將師房の君と申すを今の關白殿の上の御はらからなる故に關白殿聟とり奉らせ給へり。淺はかに心えぬ事とこそ世の人申しゝか。殿の內の人も思したりしかど入道殿思ひおきてさせ給ふやうありけむとぞ〈如元〉かしな。男君は大納言にて春宮大夫賴宗と聞ゆ。御わらは名いは君。今一所はおなじ大納言中宮權大夫能信ときこゆ。今一所中納言長家、御わらは名こわか君。今一所は馬頭にて顯信とておはしき。御わらは名こけ君なり。長和元年壬子正月十九日入道し給ひて、この十餘年佛の如くして行はせ給ふ、いと思ひかけずあはれなる御事なり。みづからの御菩提申すべからず。殿の御ためにも、又法師なる御子のおはしまさぬが口をしうことかけさせ給へるやうなるに「さればやがて一度に僧正になして奉らむ」となむ仰せられけるとぞうけたまはるを、いかゞ侍らむ。うるはしき御法服宮々よりも奉らせ給ひ、殿より