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し。賴親の內藏頭、周賴の木工頭などいひし人、片はしよりなくなり給ひて今は唯兵部大輔周家の君ばかりほのめき給ふなり。小一條院の御宮達の御乳母の夫にて、院のかくごして候ひまたふ、いとかしこし。又井手の少將とありし君は出家とか。故關白殿御心おきていとうるはしくあてにおはしましゝかど、御すゑあやしく御命も短くおはすめり。今の入道一品宮とこの帥殿〈殿衍歟〉中納言のみこそは殘らせ給ふめれ。

     右大臣道兼

このおとゞは、この大入道殿の御三郞、粟田殿とこそは聞えさすめりしか。長德元年乙未五月二日關白の宣旨かうぶらせ給ひて同じ月の八日うせさせ給ひにき。大臣にて五年、關白と申して七日こそ坐しましゝか。この殿ばらの御ぞうにやがて世をしろしめさぬたぐひ多く坐すれど、まだあらじかし。夢のやうにてや見給へるは、出雲守すけゆきのぬしのみ家にあからさまに渡り給へりしをり、關白の宣旨の下りしに、あるじの喜び給ひたるさま推し量り給へ。せばうて事の作法もあるまじとてたゝせ給ひし日ぞ御喜びをも申させ給ひし。殿の御前はえもいはぬものゝかぎりすぐれたるに、北の方の二條にかへり給ふ御供人が、よきもあしきも數知らぬまで、布衣などにてあるもまじりて殿出したて奉りて渡り給ひしほどの、殿の內のさかえ人のけしきは唯おぼせ〈如元〉やれ。あまりにもと見る人もありけり。御心ちは少し例ならずおぼされけれど、おのづからの事にこそはいまいましく、今日の御悅申しとゞめじとおぼして、念じてうち參らせ給へるに、いと苦しうならせ給ひにければ、殿上よりはえ