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つれば若き人とてをかしやかなることも殊になく、むすぼゝれなる本性なめりと思ふ。かたちの見るかひあり美しきに萬の咎見ゆるして明暮の見物にしたり。少しうち笑ひ給ふをりは珍しくめでたきものに思へり。九月になりてこの尼君初瀨にまうづ。年比いと心ぼそき身に戀しき人の上も思ひやまれざりしを、かくあらぬ人とも覺え給はぬなぐさめを得たれば、觀音の御しるしうれしとてかへり申しだちて詣で給ふなりけり。「いざ給へ。人やは知らむとする。同じ佛なれどさやうの所に行ひたるなむしるしありてよきためし多かる」とそゝのかしたつれど、昔母君乳母などかやうにいひ知らせつゝ度々詣でさせしをかひなきにこそあめれ、命さへ心にかなはずたぐひなきいみじきめを見るはと、いと心憂きうちにも知らぬ人に具してさる道のありきをしたらむよとそら恐しくおぼゆ。心ごはきさまにはいひもなさで心地のいと惡しうのみ侍ればさやうならむ道の程にも、いかゞなどつゝましうなむ」とのたまふ。物おぢはさもし給ふべき人ぞかしと思ひて强ひてもいざなはず。

 「はかなくてよにふる川のうきせには尋ねもゆかじふたもとの杉」と手習にまじりたるを尼君見つけて「二本はまたもあひ聞えむと思ひ給ふ人あるべし」とたはふれごとをいひあてたるに胸つぶれておもて赤め給へるもいとあいぎやうづき美しげなり。

 「ふる川の杉のもとだち知らねども過ぎにし人によそへてぞ見る」。異なることなきいらへを口疾くいふ。「忍びて」といへど皆人慕ひつゝこゝには人少なにておはせむを心苦しがりて心ばせある少將の尼左衞門とてあるおとなしき人、童ばかりぞ留めたりける。皆出で立