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それもさるべきにこそはとことわらるゝを隔て給ふ御心の深きなむ、いと心うき」とのたまふにも、宿世のおろかならで尋ねよりたるぞかしとおぼし出づるに、淚ぐまれぬ。まめやかなるをいとほしう、いかやうなる事を聞き給へるならむと驚かるゝに、いらへ聞え給はむこともなし。物はかなきさまにて見そめ給ひしに、何事をも輕らかに推し量り給ふにこそはあらめ、すゞろなる人をしるべにて、その心よせを思ひ知りはじめなどしたるあやまちばかりに、覺え劣る身にこそとおぼしつゞくるも、よろづ悲しくて、いとゞらうたげなる御けはひなり。かの人見つけたりとは、しばし知らせ奉らじとおぼせば、ことざまに思はせて怨み給ふを、たゞこの大將の御事を、まめまめしくのたまふとおぼすに、人やそらごとをたしかなるやうに聞えたらむなどおぼす。ありやなしやを聞かぬまは見え奉らむもはづかし。うちより大宮の御文あるに驚き給ひて猶心解けぬ御氣色にて、あなたに渡り給ひぬ。「きのふのおぼつかなさを惱しくおぼされたなる。よろしくば參り給へ。久しうもなりにけるを」などやうに聞え給へれば、さわがれ奉らむも苦しけれど、誠に御心地もたがひたるやうにて、その日は參り給はず。上達部などあまた參り給へど、み簾の內にてくらし給ふ。夕つ方右大將參り給へり。「こなたにを」とて、うち解けながらたいめんし給へり。「惱ましげに坐しますと侍りつれば、宮にもいとおぼつかなく思し召してなむ。いかやうなる御惱にか」と聞え給ふ。見るからに心さわぎのいとゞまされば、ことずくなにて、ひじりだつといひながら、こよなかりける山ぶし心かな、さばかり哀なる人をさて置きて、心のどかに月日を待ち侘びさすらむ