Page:Kokubun taikan 02.pdf/544

このページは校正済みです

じり御覽じにとなむ、人には物し侍りつる」など語りて、「女こそ罪深うおはするものにはあれ。すゞろなるけさうの人をさへ惑はし給ひて、そらごとをさへせさせ給ふよ」といへば、「ひじりの名をさへつけ聞えさせ給ひてければ、いとよし。私の罪もそれにてほろぼし給ふらむ。誠にいとあやしき御心の、げにいかで習はせ給ひけむ。かねてかうおはしますべしと、うけたまはらましにも、いとかたじけなければ、たばかり聞えさせてましものを、あうなき御ありきにこそは」と、あつかひ聞ゆ。參りてさなむとまねび聞ゆれば、げにいかならむとおぼしやるに、「所せき身こそわびしけれ。輕らかなる程の殿上人などにて、しばしあらばや。いかゞすべき、かうつゝむべき人めも得憚りあふまじくなむ。大將もいかに思はむとすらむ。さるべき程とはいひながら、怪しきまで昔よりむつましき中に、かゝる心のへだての知られたらむ時、耻かしう、またいかにぞや。世のたとひにいふこともあれば待遠なる我がをこたりをも知らず怨みられ給はむをさへなむ思ふ。夢にも人に知られ給ふまじきさまにて、こゝならぬ所にゐて離れ奉らむ」とぞのたまふ。今日さへかくて籠り居給ふべきならねば、出で給ひなむとするにも、袖の中にぞとゞめ給へらむかし。明けはてぬさきにと人々しはぶきおどろかし聞ゆ。妻戶に諸共にゐておはして、得出でやり給はず。

 「世に知らず惑ふべきかなさきに立つ淚も道をかきくらしつゝ」。女も限なく哀と思ひけり。

 「淚をもほどなき袖にせきかねていかに別れをとゞむべき身ぞ」。風の音もいとあらまし