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給ひしぞ。なめげなることを聞えさするやまがつなども侍らましかば、いかならまし」といふ。內記は「げにいと煩しくもあるかな」と思ひたてり。「時方と仰せらるゝは誰にか、さなむ」とつたふ。笑ひて「かうがへ給ふことゞもの恐しければ、さらずとも逃げてまかでぬべし。まはやかにはおろかならぬ御氣色を見奉れば、誰も誰も身を捨てゝなむ。よしよしとのゐびとも皆起きぬなり」とて急ぎ出でぬ。右近人に知らすまじうは、いかゞはたばかるべきと、わりなう覺ゆ。人々起きぬるに、「殿はさるやうありて、いみじう忍びさせ給ふ氣色見奉れば道にていみじき事のありけるなめり。御ぞどもなど、よさり忍びてもて參るべくなむ仰せられつる」などいふ。ごだち「あなむくつけや、木幡山はいと恐しかなる山ぞかし。例の御さきもおはせ給はず、やつれておはしましけむよ。あないみじや」といへば、「あなかまあなかま。げすなどの塵ばかりも聞きたらむに、いといみじからむ」といひ居たる、心ちおそろし。あやにくに殿の御使のあらむ時、いかにいはむと、初瀨の觀音、けふことなくてくらし給へと大願をぞ立てける。石山にけふ詣でさせむとて、母君の迎ふるなりけり。この人々も皆さうじし、きよまはりてあるに、「さらばけふは得渡らせ給ふまじきなめりな。いと口惜しきこと」といふ。日たかくなれば格子などあげて右近ぞ近く仕うまつりける。も屋の簾垂は皆おろし渡し物忌などかゝせてつけたり。毋君もやみづからおはするとて、夢見さわがしかりつといひなすなりけり。御てうづなど參りたるさまは例のやうなれど、まかなひめざましうおぼされて、「そこにあらはせ給はゞ」とのたまふ。女いとさまよう心にくき人を見習ひたるに、時の