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めさるわがるとも、けふばかりはかくてあらむ、何事も生けるかぎりのためこそあれ、只今出でおはしまさば誠に死ぬべくおぼさるれば、この右近を召し寄せて、「いと心もなしと思はれぬべけれど、けふは得出づまじうなむある。をのこどもは、このわたり近からむ所に、よくかくろへてさぶらへ。時方は京へものして、山寺に忍びてなむと、つきづきしからむさまに、いらへなどせよ」とのたまふに、いとあさましくあきれて、心もなかりける夜のあやまちを思ふに、心地も惑ひぬべきを思ひしづめて、今は萬におぼゝれ騷ぐとも、かひあらじものからなめげなり。怪しかりしをりに、いと深うおぼしつれたりしも、かうのがれざりける御宿世にこそありけれ、人のしたるわざかはと思ひ慰めて、「今日御迎にと侍りしを、いかにせさせ給はむとする御ことにか、かう遁れ聞えさせ給ふまじかりける御宿世は、いと聞えさせ侍らむかたなし。をりこそいとわりなく侍れ。今日は出でおはしまして御志侍らば長閑にも」と聞ゆ。およすけてもいふかなとおぼして、「我は月頃物思ひつるに、ほれはてにければ人のもどかむも知らず、ひたぶるに思ひなりにたり。少しも身のことを思はゞ、かゝらむ人のかゝるありきは思ひたちなむや。御かへりには、けふは物忌などいへかし。人にしらるまじきことを誰がためにも思へかし。こと事はかひなし」とのたまひて、この人の世に知らず、哀におぼさるゝまゝには萬のそしりも忘れ給ひぬべし。右近出でゝ、「このおとなふ人に、かくなむのたまはするを猶いとかたはならむとを申させ給へ、あさましう珍らかなる御有樣は、さ思し召すとも、かゝる御供の人どもの御心にこそあらめ、いかでかう心をさなうは、ゐて奉り