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頃はおぼししみたり。のりゆみ內宴などすぐして心のどかなるに、つかさめしなどいひて人の心盡すめる方は何ともおぼさねば、宇治へ忍びておはしまさむことをのみおぼしめぐらす。この內記は望むことありて、よるひるいかで御心に入らむと思ふ頃、例よりは懷しう召しつかひて、「いと難き事なりとも我がいはむことはたばかりてむや」などのたまふ。「かしこまりて侍ふ」。「いとびんなきことなれど、かの宇治に住むらむ人は、はやうほのかに見し人の行くへも知らずなりにしが、大將に尋ねとられにけりと聞き合することこそあれ。たしかには知るべきやうもなきを、唯物より覗きなどして、それかあらぬかと見定めむとなむ思ふ。聊か人に知らるまじきかまへは、いかゞすべき」とのたまへば、あな煩はしと思へど、「おはしまさむことは、いと荒き山ごえになむ侍れど、殊に程遠くは侍はずなむ。夕つ方出でさせおはしまして、ゐねの時にはおはしまし着きなむ、さて曉にこそは歸らせ給はめ。人の知り侍らむことは、唯御供にさぶらひ侍らむこそは、それも深き心はいかでか知り侍らむ」と申す。「さかし。むかしも一たび二たび通ひしみちなり、輕々しきもどきおひぬべきが、物の聞えのつゝましきなり」とて、返すがへすあるまじきことに我が御心にもおぼせど、かうまでうち出で給ひつれば得思ひ留め給はず、御供にも昔もかしこのあない知れりし者ふたりみたり、この內記、さては御めのとごの藏人よりかうふり得たる若き人、むつかしきかぎりをえり給ひて、大將けふあすよもおはせじなど、內記に能くあない聞き給ひて出で立ち給ふにつけても、いにしへをおぼし出づ。あやしきまで心を合せつゝ、ゐてありきし人のために、う