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たまふ。御顏の赤みたれば、宮、大將のさりげなくしなしたる文にて、字治の名のりもつきづきしとおぼしよりて、この文をとり給ひつ。さすがにそれならむ時にとおぼすに、いとまばゆければ「あけて見むよ、怨じやし給はむとする」とのたまへば、「見苦しう。何かはその女どちの中に書き通はしたらむうちとけ文をば御覽ぜむ」とのたまふが、さわがぬ氣色なれば、「さば見むよ。女の文がきは、いかゞある」とてあけ給へれば、いと若やかなる手にて、「おぼつかなくて年も暮れ侍りにける。山里のいぶせさこそ峰の霞もたえまなくて」とて、はしに、「これ若君のお前に、あやしう侍るめれど」と書きたり。ことにらうらうじきふしも見えねど、覺えなきを御目たてゝ、この立文を見給へば、げに女の手にて、「年改りて何事かさぶらふ。御私にも、いかにたのもしき御悅多く侍らむ。こゝにはいとめでたき御住ひの心深きを猶ふさはしからず見奉る。かくてのみつくづくとながめさせ給ふよりは、時々は渡り參らせ給ひて御心も慰めさせ給へと思ひ侍るに、つゝましく恐しきものにおぼしこりてなむ、物憂き事に歎かせ給ふめる。若君のお前にとて、卯槌參らせ給ふ。おほきおまへの御覽ぜざらむ程に御覽ぜさせ給へ」となむ、こまごまと、こといみもえしあへず、物なげかしげなるさまのかたくなしげなるも、うち返しうち返し怪しと御覽じて、「今はのたまへかし。誰がぞ」とのたまへば、「昔かの山里にありける人のむすめの、さるやうありて、この頃かしこに侍るとなむ聞き侍りし」と聞え給へば、おしなべて仕うまつるとは見えぬ文がきをと心え給ふに、かの煩はしきことゝあるにおぼしあはせつ。卯槌をかしう、つれづれなりける人のしわざと見