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からず。ひんがしの對なりけり。辰巳のかたの廂にすゑ奉りてみさうじのしりはかためたれば「いと若やかなる心地もするかな。年月のつもりをも紛れなく數へらるゝ心ならひに、かくおぼめかしきはいみじうつらくこそ」と恨み聞え給ふ。夜いたく更け行く。玉藻に遊ぶをしの聲々などあはれに聞えて、しめじめと人め少なき宮の內の有樣にさも移り行く世かなとおぼしつゞくるに平仲がまねならねど誠に淚もろになむ。昔に變りておとなおとなしくは聞え給ふものから、これをかくてやとひき動かし給ふ。

 「年月をなかにへだてゝ逢坂のさもせきがたくおつるなみだか」。女、

 「淚のみせきとめがたきしみづにて行き逢ふ道ははやく絕えにき」などかけはなれ聞え給へど、いにしへをおぼし出づるも誰により多うはさるいみじきこともありし世のさわぎぞと思ひ出で給ふに、實に今一度の對面はありもすべかりけりとおぼしよわるも、もとよりづしやかなる所はおはせざりし人の、年比はさまざまに世の中を思ひ知り、きし方をくやしくおほやけわたくしのことに觸れつゝ數もなくおぼし集めて、いといたく過し給ひにたれど、昔覺えたる御對面にその世の事も遠からぬ心地して得心づよくもてなし給はず。猶らうらうしく若うなつかしくて一方ならぬ世のつゝましさをも哀れをも思ひ亂れて歎きがちにてものし給ふ氣色など、今始めたらむよりも珍しく哀にて明け行くもいと口惜しくて出で給はむ空もなし。潮ぼらけのたゞならぬ空に百千鳥の聲もいとうらゝかなり。花は皆散り過ぎて名殘かすめる梢の淺綠なるこだち、昔藤の宴し給ひしこの頃のことなりけむかしとお