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いの宮のおはしましゝ二條の宮にぞ住み給ふ。姬宮の御事を置きてはこの御事をなむ顧みがちにみかどもおぼしたりける。尼になりなむとおぼしたれどかゝるきほひには慕ふやうに心あわたゞしと諫め給ひて、やうやう佛の御事など急がせ給ふ。六條のおとゞは哀に飽かずのみおぼしてやみにし御あたりなれば年比も忘れがたくいかならむをりに對面あらむ、今一度あひ見てその世の事も聞えまほしくのみおぼし渡るをかたみに世のきゝ耳も憚り給ふべき身の程に、いとほしげなりし世のさわぎなどもおぼし出でらるれば萬につゝみ過ぐし給ひけるを、かうのどやかになり給ひて世の中を思ひしづまり給ふらむころほひの御有樣、いよいよゆかしく心もとなければあるまじきことゝはおぼしながら大かたの御とぶらひにことつけて哀なるさまに常に聞え給ふ。若々しかるべき御あはひならねば御返りも時々につけて聞えかはし給ふ。昔よりはこよなくうち具し整ひはてにたる御けはひを見給ふにも猶忍びがたくて、昔の中納言の君のもとにも心深きことゞもを常にのたまふ。かの人のせうとなる和泉のさきの守を召しよせて若々しくいにしへにかへりて語らひ給ふ。「人づてならで物ごしに聞えしらすべきことなむある。さりぬべく聞えなびかしていみじく忍びて參らむ。今はさやうのありきも所せき身のほどにおぼろげならず忍ぶべきことなれば、そこにも又人にはもらし給はじと思ふにかたみにうしろ安くなむ」との給ふ。かんの君「いでや世の中を思ひ知るにつけても昔よりつらき御心をこゝら思ひつめつる年ごろのはてに、哀に悲しき御事をさし置きていかなる昔語をか聞えむ。實に人は漏り聞かぬやうありとも心