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聞えさせたり。

 「蟬の羽もたちかへてける夏ごろもかへすを見てもねはなかれけり」。思へど怪しう人に似ぬ心づよさにてもふり離れぬるかなと思ひつゞけ給ふ。今日ぞ冬立つ日なりけるもしるく、うちしぐれて空の景色いとあはれなり。ながめくらし給ひて、

 「過ぎにしも今日別るゝもふたみちに行くかた知らぬ秋の暮かな」。猶かく人知れぬ事は苦しかりけりと覺し知りぬらむかし。かやうのくだくだしき事はあながちにかくろへ忍び給ひしもいとほしくて皆漏しとゞめたるを、など帝の御子ならむからに見む人さへかたほならずものほめがちなると、つくりごとめきてとりなす人ものし給ひければなむ、あまりものいひさがなき罪さりどころなく。


若紫

わらはやみにわづらひ給ひてよろづにまじなひ加持などせさせ給へどしるしなくてあまたたび起り給うければ、或人「北山になむなにがし寺といふ所に賢きおこなひ人侍る。去年の夏も世におこりて人々まじなひ煩ひしを頓て留むる類あまた侍りき。しゝこらかしつる時はうたて侍るを疾くこそ試みさせ給はめ」など聞ゆれば召しに遣したるに「老いかゞまりてむろのとにもまかでず」と申したれば「いかゞはせむ。忍びて物せむ」との給ひて御供に睦ま