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おまへの前栽かれがれに蟲の音も泣きかれて紅葉やうやう色づくほど、繪に書きたるやうにおもしろきを見渡して、心より外にをかしき交らひかなと、かの夕顏のやどりを思ひ出づるもはづかし。竹の中に家鳩といふ鳥のふつゝかになくを聞き給ひて、かのありし院にこの鳥の泣きしをいと恐しと思ひたりしさまの面影にらうたく思ほし出でらるれば、「年は幾つにかものし給ひし。怪しう世の人に似ずあえかに見え給ひしもかく長かるまじきなりけり」との給ふ。「十九にやなり給ひけむ、右近は、なくなりにける御めのとの棄て置きて侍りければ、三位の君のらうたがり給ひてかの御あたり去らずおほしたて給ひしを思ひ給へ出づれば、いかでか世に侍らむとすらむ。いとしも人にと悔しくなむ。物はかなげに物し給ひし人の御心をたのもしき人にて年ごろならひ侍りける事」と聞ゆ。「はかなびたるこそ女はらうたけれ。かしこく人に靡かぬ、いと心づきなきわざなり。みづからはかばかしくすこよかならぬ心ならひに、女は唯やはらかにてとりはづしては人に欺かれぬべきがさすがに物づゝみし、見む人の心には從はむなむ哀れにて、我が心のまゝにとり直して見むに懷しう覺ゆべき」などの給へば、「この方の御このみにはもてはなれ給はざりけりと思ひ給ふるにも口惜しく侍るわざかな」とてなく。空のうち曇りて風冷やかなるにいといたううちながめたまひて、

 「見し人のけぶりを雲とながむればゆふべの空もむつまじきかな」とひとりごち給へどえさしいらへもきこえず。かやうにておはせましかばとおもふも胸のみふたがりておぼゆ。